2013/4/14
金太郎と大姥伝説の山♪
大姥山
(長野エリア)
全山行 356回
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標高 大姥山 1006.1m
天気 晴れ
山行時間 5時間
*周遊コースは3時間半程度で歩くことができます
山頂での滞在時間が長かったので時間がかかりました
〈コース〉赤土ポケットパーク-諏訪神社前駐車スペース(9:00)-
大姥神社本宮登山口-金時の小径-大穴・大姥神社奥宮-
山頂(11:00-12:30)-三角点-大姥の遊歩道へ-分岐-旧桐山地区-
山姥の滝-駐車スペース(3:00)
ひかえおろーっ
このお方を どなたと心得る
先の 信州大学医学部名誉教授
古原 和美先生 なるぞ!
はっ
ははぁーっ
本日二座目
国道19号を南下する
向かった先は 旧 八坂村(現 大町市)大姥山であ~る
一座目のブログで紹介した
信州ふるさと120山 なる
ガイドブックから この山に白羽の矢を立てた
(よっしゃ)
その理由とは?
ひとちがっちの近くの 箱根の金時山と同じく
金太郎伝説がある山だから
鎖場続きの急登、周遊できるコースと
申し分ない山歩きが満喫できる里山のひとつ
じゃ いってみよっか!
国道沿いの 赤土ポケットパークには
大姥神社前宮がある
社殿の中には このような物が奉納されている
入口には 金太郎の大きなペイント
なかなか可愛らしい金太郎
(うは!うは!)
1キロほど先にある 諏訪神社の横にある
駐車スペースに車で移動しよう
じゃ スタート♪
登山口までの1.2キロほどの
舗装路を登っていく
薬師如来堂を通過し 金太郎が産湯を使ったという
池を見学することに
入口には こんな案内板
少し道から反れた場所に 深い碧の半月形の池が
大きなヒノキの根元にあった
へぇー
ここで金太郎が ちゃぷ ちゃぷ
したわけね
枯葉が堆積した池は静寂の中にあった
駐車場とトイレのある登山口に向かって
更に舗装路を登っていく
うが うが うが うが
あぢぃー
汗がダラダラ出てきた
昨日は雪山だったから 服装も冬仕様
雪のない里山には暑いし似合わない
(はぁ。。。)
私なんか 冬靴ですよ
重いしイヤになっちゃいますぅ
仕方ないよね
ホントは今日も雪山の予定だったから
ブツブツ言ってないで早く登ったら?
はい はい
そうするよ
道沿いの開けた場所から山頂が見えた
電波塔がキラキラ光っている
ようやく舗装路も終わり登山口
山道らしくなった
(わ~い)
少し登ると
大姥神社本宮
参道は赤松が植えられ ちょっと涼しい
社殿の中には 花火の筒がころがっていた
筒は古く長い年月ころがっているみたいだ
(あはは)
ここから
急登
よっしゃ いきますか!
気合を入れて登ることにした
わっせ こらせ
わっせ こらせ
鎖場の急登が続く
木々の間から 北アルプスの山並みが
チラチラ見えるのが嬉しい
(うん、うん)
まだまだ続く鎖場
わっせ こらせ
わっせ こらせ
登っても 登っても
急登の鎖場は続く
南側は崖状の急斜面
落ちたらアブナイ
昨日もそうだったけど
急登続きで ちっとも休めないよね
はい
キツイですぅ
都合よくベンチが置かれていた
ちょいと一休みして再び登る
(うりゃ)
分岐で金太郎が待っていた
上に向かえば山頂だけど
大穴のある
大姥神社奥宮へ向かおう
山をトラバースするように道がついていた
そしてその先には またもや鎖場の急登
(はぁ。。。)
がんば! がんば!
あったぁーっ
大きな穴が口を開けている
スゴイですねぇー
今まで見た穴の中でも
ダントツ一番の大きさ
ちがこさんが立つと その大きさが
よ~くわかるんじゃないかな
ここわぁー
上篭の洞窟と呼ばれ 内壁の一部に小さな小穴を
多数持つ特徴的な地形
大昔、犀川がこのあたりを流れていて水流が
岩を激しく浸食したために穴が開いたそうだ
へぇーっ
大満足で奥宮に手を併せ
再び本ルートに戻る
北アルプスが大きく見え始めた
最後の鎖場を登る
日当たりのいい山頂に到着
大きな鉄塔、東屋のある開けた山頂だ
やったぁーっ
景色は すこぷるいいとはいえないけど
ここまで汗かきかき登って満足感いっぱい
東屋で山ランチすることにした
先客で食事をしていたのは
宮下さんご夫妻
定年退職されたご主人は百名山も終わり
二百名山を続登しているそうだ
いやぁーねぇー
まだ奥さんが退職してないから
スポンサーがいるからバリバリ登れるよ
そう言って笑うご主人
奥さんは横で苦笑い
楽しく一緒に山ランチ
ご夫婦はピストンで下って行った
ふたりの姿が見えなくなると 今度は反対方向から
ご老人をつれた上品なおばさまが登ってきた
再び東屋が賑やかになった
それにしても 元気なじいちゃんだ
おじいちゃん 何才ですか?
もう90才なんですよ
えーっ
すご~い
どこから来たの?
静岡です
えっ?
わざわざ この山に登るために
来たんじゃないでしょ
えっ
まぁー
そりゃ 予定変更にはなったけど
この大姥山も
信州ふるさと120山 だから
登るために来たと言っても過言ではない
あら 物好きね
また 物好きと言われた
ガイドブックの話をしたら
驚いたように おばさまが おじいちゃんに
向かって
先生いいですか? と
うなずくように老人が微笑んだ
先生?
いったい この老人は何者なのか?
ひかえおろーっ
このお方をどなたと心得る
先の 信州大学医学部名誉教授
古原和美先生 なるぞ!
はっ
ははぁーっ
なんと おばさまは先生の弟子であった
信州ふるさと120山 は
先生が書かれた本ですよね?
あれは長野県山岳協会で出したな
えーっ
そうなんですか?
信州ふるさと120山は愛読書
ひとちが大感激
では 紹介しよう
山の黄門さま
医学博士の名を持ち
高所医学の第一人者として活躍中
信州大学山岳部の名誉顧問であり
90才にして
現役ヘッドコーチ
若き青年たちを育てている
日本登山医学会名誉会員として
山岳医制度を立ち上げたのも
この先生なのだ
長野県山岳協会名誉会長でもある
先生のこれまでの功績は素晴らしいもので
深田久弥先生とヒマラヤ登頂を果たした
というスゴイ経歴の持ち主でもある
先生の書かれた本
『 ヒマラヤの旅 未知をたずねて 』
1958年3月から6月にかけて 深田久弥氏を隊長とし
山川勇一郎氏(山岳画家)、風見武秀氏(山岳写真家)
古原和美氏(医師)というわずか四人の登山隊による
ジュガール・ヒマールとランタン・ヒマール地方の探検記
あとがき より
わたしは、中学時代から一貫して山登りが
好きだったのですが、1958年、ついにあこがれの
ヒマラヤ探検を実現することができました。
この旅を終わって、わたしは、少年時代からの夢は
けっきょく実現できるものだ
という深い感慨をいだくのです。
そして、多くの少年少女たちに
夢をだいじに育てましょう
と語りかけたい気持です。
しかし、わたし自身の夢も、
まだ終わったわけではありません。
1964年第二回ヒマラヤ探検をくわだて
全日本山岳連盟ヒマラヤ登山隊長として、
再びネパール・ヒマラヤに向い
4月10日、11日の二回にわたり、
ギャチュン・カン[7922メートル]の
初登頂に成功しました。
ギャチュン・カンといえば
山野井泰史さん夫妻がたった二人で北壁に挑み
かろうじて生還した山
ノーマル・ルートによる初登が この古原先生を
隊長とするパーティーなのだ
スゴイ!
スゴすぎる
物静かに東屋のベンチに腰掛けている
細身の老人からは とてもこれまでの偉業を
成し遂げた同人物とは思えないような
穏やかさを感じた
ウルトラ じいちゃん
そう呼ばせて頂こう
信州大学といえば しょうたろう選手が
目指している大学
そして目標としているのは
医学部
そして入りたいのは
山岳部
そして将来なりたい職業は
山岳医
求めているものが
すべて揃っているぢゃまいか!
偶然とはいえ スゴイ人とお話しする
機会をもつことになった ひとちが
ラッキー♪
先生、うちの息子も先生とこの大学目指してます
あと3年 山岳部で待ってて下さいね
生きてられるかなぁー?
先生が笑う
もうこうなったら 浪人できないぞ
しょうたろう選手!
なんとしても先生がご健在のうちに
大学イッパツで受かんなきゃね
山岳医を目指す子供たちに何か
アドバイスをもらえますか?
そうだね
四季を通して何度も同じ低山に
登ることが きっと役に立つはずだよ
ありがとうございます
必ず伝えます
いつでも連絡して訪ねてくればいい
大学の子供たちと集おう
そう言うと 名刺を手渡してくれた
さようなら
お気をつけて
固い握手をして お別れをする
運命の出会いだったのか?
愛読しているガイドブックを書かれた
先生との偶然の出会いだった
舞い上がる気持ちを抑えきれずに
周遊ルートを進んで行く
ルン♪ ルン♪
そうだ
まだ 三角点見つけてなかったっけ
左右前山山城跡にある林の中の
三角点タッチ♪
再び
大姥の遊歩道と呼ばれるルートの
深く積もった落ち葉を踏みしめ下る
うが うが うが うが
旧桐山地区から 今度は
山姥の滝を目指す
大穴のあった南斜面を横に見ながら
滝に通じる舗装に出た
沢沿いの桜は まだ
七分咲き
長野は桜が満開の季節
水量の乏しい高さ30mほどの滝の水は
滝壺に落ちる前に霧となって消えた
夢のような出会い
山の黄門さまは
優しいおじいちゃんだったよ
この日の立ち寄り湯はこちら
豊科温泉
湯多里山の神
とっても雰囲気のいいお風呂です お肌つるつる